心の家…【和我家物語】
2006-07-06T12:33:34+09:00
sin5gogo
懐かしい日本の暮らしと日本人の心を探っていきます。 (岩井慎悟)
Excite Blog
踊る阿呆に、流す阿呆・・・【いい加減なマスコミと、その報道に踊らされた私】
http://sin5gogo.exblog.jp/4100605/
2006-07-06T02:14:00+09:00
2006-07-06T12:33:34+09:00
2006-07-06T02:14:46+09:00
sin5gogo
独り言
『現在の1級建築士に新たな試験を受けさせて合格した人だけを「新1級建築士」と認定するなど大幅な制度見直し案を明らかにした。』
というのニュースが出たことに対しての日記をつけましたが、その後、委員会(審議会)の議事録が国土交通省から発表されたので、読んでみた。
資料も合わせて70ページ以上ある議事録でしたが、やはり自分が仕事としている世界の話でもあるので、全部目を通してみた。
すると、各マスコミが報道した内容とは随分ニュアンスが違っているのである。
ニュアンスが違うというより、かなり話を勝手に膨らませているのである。
伝言ゲームじゃあるまいし、マスコミもプロとしての意識をもってもらいたいものである。
思えば、姉歯事件が発覚した直後も、ヒューザーや木村建設、総合経営研究所が黒幕であり、姉歯氏は、弱者という立場で、偽装を強要されていたような扱いの報道であった。
特に朝日新聞(テレビ朝日)などの左翼よりのマスコミは、こういうのが大好きである。
国会議員の中には、そんな報道と姉歯氏に対する同情のような国民感情を考慮し、人気取りの材料にする者もいた。
しかし、その後の調査で、姉歯氏がほぼ自らの判断と知識不足の中で偽装を重ねていたことが分かってくる頃には、報道もほとんどなく、世間の関心も薄くなっていく。
そして今回、世の建築士全てを悪者にしたいような報道!
松本サリン事件の時も、そうであったが、報道は慎重でなければいけない。
そして、責任を持たなければいけない。
裏づけのない情報を簡単に記事してしまう記者こそ、プロ意識が欠如しているように私は思う。
簡単に耐震強度を偽装し、それを繰り返した姉歯と同じぐらいの罪である。
とにかく、そんなガセに近い拡大解釈と勝手に色付けされた報道に、私はこの1週間振り回されたバカである。
そして私はまたテポドンの報道で踊る準備はできている・・・。
]]>
ひとりごと・『姉歯ショック』…【なんで!?それでいいのか?】
http://sin5gogo.exblog.jp/4071653/
2006-06-27T21:49:00+09:00
2006-06-28T02:27:28+09:00
2006-06-27T21:49:43+09:00
sin5gogo
独り言
昨夜、ヤフーで、
『耐震データ偽造事件を受け、国土交通省は26日、現在の1級建築士に新たな試験を受けさせて合格した人だけを「新1級建築士」と認定するなど大幅な制度見直し案を明らかにした。』
というのニュースがでていた。
「何!?」
昨年、苦労してようやく1級建築士になった私にとっては大変なニュースである。
いや、私だけではない。
おそらく全国の1級建築士の人はそのニュースを知って、そう思ったに違いない。
確かに、姉歯事件以後、建築・建設業界は世間からの信頼を失った。
再発防止のためにもなんらかの対策・政策は必要かもしれない。
ただ、今回ニュースになったこの制度見直し案は的を外しているように思えてならない。
私個人の考えではあるが、仮にこの法案が可決されれば、まだ建築業界では若い私にとっては、もう一度、毎日の仕事と平行し、寝る時間を削って資格試験の勉強をしなければいけないという苦労が苦になるというより、大幅に人数が減るであろう「新1級建築士」はチャンスである。
しかし、そんな方法でふるいにかけていいのであろうか?
年輩の1級建築士の方は、やはり私の年代の1級建築士よりも経験も知識も豊富である。
そんな力のある年輩の方が、もう一度資格試験の勉強を、仕事の合間にするというのは酷な気がしてならない。
もちろん、私のような駆け出しの者から見ても、1級建築士とは名ばかりで知識もなく、しかも歳だけとっているような、イライラさせられる人も少なくはない。
だけど、その逆に、やはりスゴイなぁと思える諸先輩の1級建築士もたくさんいるのである。
その今回の法案による「新1級建築士」の判断基準(試験方法)が実務の知識や経験に反映されたものであればいいのだが・・・
今の建築の仕事は細分化されているのが現状であり、建物の規模が大きければ大きいほどそれらはよりスペシャリストの集まりにより仕事は進み一つの建物が出来上がる。
自分の仕事分野でないことも多々ある中で、どのような判断基準(試験方法)が実務の知識や経験に反映されたものになるのか?
私は結局、実務とは違う『単なる試験』になるのではないかと思ってしまうのである。
確かに、1級建築士である以上、専門分野外なので全くわからないということは、ふさわしくない言い訳であるし、一般の方からすれば、プロなのだから知ってて当然、無知な建築士をなくす為にも、もう一度ふるいにかけるのは当然と思うかもしれない。
ただ、私が心配に思うのは、建築業界、特に設計の仕事というのは、大変ハードにも関わらず、あまり儲からない仕事なのである。
寝る間も惜しんで、より良い物を創ろうと考える仕事なのである。
良い設計事務所ほど、設計に時間をかけ、ディテールまでとことん考える。
そんな中、もう一度試験勉強に時間をさかなければいけない状況が、建築界に良い影響を与えるのか大変疑問に思うのである。
姉歯氏は、確かに知識も含め、1級建築士としてはふさわしくない人物だと思う。
しかし、姉歯事件を筆頭に、さまざまな建築・建設業界の問題は、モラルの問題の方が大きいように思うのは私だけなのだろうか?
医師や弁護士、教師その他国家資格による職業における問題も、社会人として、そして日本人としてのモラルの欠如が一番の問題だと思うのである。
今後どのようになるかはわからないが、これからも私は誠実に建築設計という仕事に向き合い取り組んでいきたいと思う。
【頭を見ればわかるだろう?】
【それは丸めたのか?それともやはり・・・】
【彼が残した不の物は本当に大きい・・・】]]>
日本人の心・『美しき倫理』…【ライブドア事件と耐震強度偽装事件の共通点】
http://sin5gogo.exblog.jp/3436962/
2006-01-27T01:01:00+09:00
2006-01-28T19:09:31+09:00
2006-01-27T01:01:00+09:00
sin5gogo
独り言
耐震強度偽装問題では、私も建築の仕事に携わる一人として、大変に驚いた事件であった。
そして今、もっとも世間の注目を集めているライブドアの事件では、やっぱりかという思いで私はニュースや新聞をみている。
そして、この二つのニュースには、一つの大きな共通点がもっとも大切な点ではないかと私は思っている。
それは、『倫理の欠如』。
当たり前のことかもしれませんし、法を犯す行為をした時点で、そういったことが言えるかもしれません。
ただ、昔の日本人の誇りや信念といった『美しき倫理』といったものがあった場合、もっと多くの同情や声援があったかもしれないと私は思うのです。
例えば、昔の盗人には、「絶対に人を傷付けない。」・「貧しいものからは盗まない。」といったような掟が存在した。
盗みは決して善いものだとは思わないが、そういった盗人の中にもプライドがあったことが重要だと私は思う。
そういうものを我々日本人は、けっして嫌いではなく好きなのである。
だから、アニメ『ルパン三世』もファンが多く、長く愛され続けている作品なのではないだろうか?
そして、私の好きな作品『機動戦士ガンダム』のシャアというキャラクターが多くの人の心をつかまえているのではないだろうか?
耐震偽装強度問題では、私は建築の仕事をしているプロとして、『住まい』がマンションや建売住宅といった『建てる』という感覚のものから『買う』という消費感覚のものに変わってしまっている中で、更に安さ(値段)一番になってしまっている現在、プロの誇りを皆が忘れてしまっていたのではないだろうかと感じている。
ライブドアの問題では、ホリエモンの野望が単なるお金でしかないことが、このような問題になってしまったのではないだろうか?
もし本当に、彼が日本を変えたいと思っていたなら・・・
お金だけではなかったニッポン人の心。
法という正義ではなく、私たち一人一人が『倫理』という正義を考えなければいけないのではないだろうか。]]>
『タイムマシン』
http://sin5gogo.exblog.jp/2631069/
2005-09-03T22:07:55+09:00
2005-09-03T22:05:27+09:00
2005-09-03T22:05:27+09:00
sin5gogo
和我家物語
夢に出てくる父の姿は、きまってアルバムの中の写真やビデオのような昔の親父の姿である。
夢に出てくる私自身は、今の私であったり、子供の頃の私であったりするが、親父の姿は変わらない。
年老いて、爺さんになった父を私は想像できないのだろうか?
私の父は、いつも親父なのである。
いつ見るかわからない気まぐれな夢ではあるが、父の夢を見た次の朝はなんだかタイムマシンに乗ってきた気分である。
ドラえもんの勉強机の引き出しやバックツゥーザフューチャーのデロリアンのようなものが、私にとってはフトンなのかもしれない。
そう思えば、子供の頃からフトンはタイムマシンだった。
遊び疲れて、フトンに入ってぐっすり眠れば、明日という未来がやってきていた。
子供の頃、明日になる前にフトンの中で見た夢は、また少し今見るものとは違っていたが、確かに私はフトンの中でいろんな時代を旅した後、明日になっていたように思う。
そして、時には当時好きだった娘と二人になる都合の良い夢なんかも用意していてくれていた。
また時には怖い夢を見、夢の中で腰を抜かすという経験もしたものである。
今年の夏も終わり、涼しく寝心地の良い夜も、もうすぐやってくる。
私は今日、どんな夢を見るんだろう?
押入れから出し畳の上に敷いたフトンがまた今夜タイムマシンになる・・・。]]>
変わる街、代わる鳥
http://sin5gogo.exblog.jp/2160134/
2005-06-28T22:40:23+09:00
2005-06-28T22:39:05+09:00
2005-06-28T22:39:05+09:00
sin5gogo
和我家物語
それが街の変貌とともに、目にする鳥と言えばカラスの割合が、とても多くなったような気がする。
ゴミをあさり、人に挑発または攻撃するかのような低空飛行、そして何よりその数の多さと不気味な黒色の容姿と泣き声。
私を含めた多くの人間がカラスに対して抱く感情というものも昔と比べるとずいぶんと悪いものへと変わってしまった。
童謡でも、『カ~ラ~ス~なぜ鳴くの・・・』と唄われていたことからも、今ほど嫌われていたとは思えないし、そこには情緒さえ感じられる。
そして何より、サッカーの日本代表のエンブレムには矢田ガラスが描かれているほどである。
もちろん、田んぼにカカシがいて、その対象ともなっているカラスは昔から人間にとって歓迎される動物ではないかもしれないが、今ほど嫌われていただろうか?
私は別にカラスを擁護するつもりはないが、ふとカラスの多さから目を移すと、昔は田んぼや畑であった場所に味気のない建売住宅が並んでいるのある。
今では憎ささえ感じる時もある人も少なくないであろうカラス。
都市の生活に適応できた生き物として、醜くなりながらもその都市で生きていこうとするその姿は、なんだか私たち人間に似ているようにも感じるのである。]]>
蛇の衣
http://sin5gogo.exblog.jp/2038879/
2005-06-13T00:53:02+09:00
2005-06-13T00:50:58+09:00
2005-06-13T00:50:58+09:00
sin5gogo
和我家物語
すっかり梅ノ木は青い葉を付け始め伸びっぱなしの枝はますます窮屈そうに思える。
あの鶯(ウグイス)もさぞかしこのジャングルのような枝では泊まりにくいであろう。
私は次に晴れた日に少し枝を切って揃えてやろうと思った。
この梅雨の時期なかなかすっきりとした晴れの日は少ないが、土曜日、庭に出て作業するには暑くもなく寒くもないちょうど心地よい晴れた日になったので、さっそく脚立を蔵から出してきて、枝を切り始めた。
切り始めて、改めて思う。
すごい密度だ。
木の中の方で上に伸び始めている新芽を切るには、外側の枝が邪魔をして中にもぐりこめないぐらいである。
私はまずは、外側でハサミの届くところから切りそろえていくことにした。
青々とした空の下、蒼々とした庭の中で身体を動かすのは気持ちのいいものである。
私は植物の気持ちなどわかるはずもないのだが、なんだかこの梅の木もいささか気持ちよさそうに見えた。
人間でいうなら、4年間も散髪せずにいたのだから、頭が軽くなり風通しもよくなるに違いない。
私は人間の勝手な解釈でどんどん切っていった。
小一時間ぐらい切っていると、ずいぶんスッキリとなった。
あとは最初に届かなかった内側の方の不細工に伸びかけている新芽を切るだけだ。
私は中にもぐって、木の幹のすぐ横に立って内側の新芽を切っていった。
すると、しばらくして、一つの枝になんだか薄気味悪い細い布切れのようなものがぶら下がっているのに気付いた。
私は、ハサミでその布切れを引っ掛け、手元に引き寄せてみた。
するとそれは長さ3尺以上あるヘビが脱皮をしたあとの抜け殻だった。
ヘビは昔から縁起の良いものとされてきたが、さすがにこれだけ大きいとちょっと怖い気もした。
ヘビの抜け殻も、財布に入れておくと良いとかいう話もあるが、これはそのまま財布に入れるには大きすぎる。畳んで入れても良いだろうが、そうするといつも財布に入っているお札よりヘビの抜け殻の方が嵩(カサ)をとってしまう。
手ごろな大きさに切ってもよいのだが、そうするにはあまりにもキレイと言おうか、状態が良すぎてなんだかもったいない気がする。
とりあえず一枚つなぎになったまま沓石の上に広げて置いておいた。
もうこれぐらいでいいだろうと思うぐらい枝を切りそろえ終わった頃、私はあのいつも来る鶯(ウグイス)と、先ほど見つけたヘビの抜け殻の持ち主であった立派なヘビのことを思った。
ヘビはあの鶯を襲ったりはしないのだろうか?
大きさから考えると一口でパクッといきそうなぐらいだ。
私はその日の夜、夢を見た。
白い着物を着た男性が後ろ向きで空を見上げている。
その男性の目線の先には、一羽の鶯が飛んでいる。
いつもうちにくるあの鶯だ。
男性はなんだかその鶯に語りかけているようにも見え、しばらくするとその彼の肩の上にその鶯は乗り、彼の耳元で二度鳴いてみせた。
そしてその男性は鶯を肩に乗せたまま、一度もこちらを振り返ることなく歩いて去っていった。
なんだかその後ろ姿は、父の背中にも似ているように思えた。
朝、目を覚ますと、小鳥の囀りが聞こえてきた。
私は不思議にあの鶯とヘビは仲良くやっているように思え、そして昨日のあれは本当に脱皮した抜け殻なのだろうか?
なんだかヘビが着替えた服のようにも思え、私は顔を洗ったあと、ヘビの抜け殻を元にあった枝に戻した。
すっきりした梅の木にぶら下がったヘビの抜け殻が春風になびいている様子は、何かの道しるべのようでもあり、また子供が遊び汚した服を乾かしているようにも見えた。
]]>
雨の匂い
http://sin5gogo.exblog.jp/1991164/
2005-06-07T07:37:33+09:00
2005-06-07T07:37:15+09:00
2005-06-07T07:37:15+09:00
sin5gogo
和我家物語
雨に匂いがあるのかどうかはわからないが、確かに香るのである。
あの匂いは、乾燥したアスファルトや石畳、また瓦屋根から香るものかもしれないが、私はあの匂いを嗅ぐといつもなぜか懐かしく感じるのである。
何を思い出しているのかはわからないし、何の記憶に反応しているのかはまったくわからない。
ただ、あの雨の匂いを嗅ぐと決まって子供の頃の気分になるのである。
それは、嫌な気分ではなく、むしろどちらかと言えば、すがすがしい気持ちのいい気分なのである。
ずっと降り続く雨は気持ちのいいものではないのだが、あの匂いは気持ちがいいのである。
近頃、マイナスイオンなどといったものがちょっとした流行にもなっていて、関連した商品も数多く販売されているが、私は雨の降り始めにそれを感じているのだろうか?
雨の降り始めは、一瞬、鳥達の鳴き声が小さくなり、辺りに静けさを生むようにも感じる。
その一瞬の静けさが割きなのだろうか?
理由はわからないが、今でも私は雨の匂いに反応する。
それは本当に小さな小さな心地良さ。]]>
瓦屋根の光
http://sin5gogo.exblog.jp/1944593/
2005-06-01T21:48:46+09:00
2005-06-01T21:48:30+09:00
2005-06-01T21:48:30+09:00
sin5gogo
和我家物語
なぜなら、この一文字軒瓦は緊結線と葺き土とで調整し固定されるが、そのときに瓦が隣り合う合端(アイバ)と呼ばれる部分で日光が差す側の垂れを幾分引っ込ませるようにすると影ができず、合端がわからないほど平らで美しい軒先になっているのである。
手間はかかるが、その繊細な感性と気を使った仕事に、日本人の美意識が凝縮されているように私は感じるのである。
お日様がどんどん高くなり、日が長くなるにつれ瓦屋根はまぶしく光る。
時間や季節によってさまざまな光を放つ瓦屋根。
家全体を抱きかかえながら住むものを守るその様子は、子を守る母のようにも見える。
町家の屋根は多くの人の中で家や家族を守る母、民家の屋根はひっそりとした村の中で一生懸命に家や家族を守る母。
雨風をしのぐ屋根は同じような姿をしているが、一軒一軒、高さも色や形も勾配も、そして放つ光も違っている。]]>
祖母の背中
http://sin5gogo.exblog.jp/1858493/
2005-05-23T08:36:24+09:00
2005-05-23T21:37:18+09:00
2005-05-23T08:34:43+09:00
sin5gogo
和我家物語
丹波の山から嫁に来てもう60年以上たつ祖母の背中は90度に折れ曲がり、百姓の嫁として生きてきた証をしっかりと身体に残している。
私の祖母は外に勤めに出たことなどない昔の本当の百姓なのだが、そんな祖母からいろいろ教わることはとても多い。
昔の人の知恵というものだろう。
身近にあるもので、なんでも作り工夫された知恵には驚かせられることが多い。
そんな祖母もすっかり歳をとり、私が小さかった頃の祖母に比べると、足腰も弱くなりずいぶんと小さくなった。
耳が遠い祖母に話しかける時、耳元まで近寄り話しかけるのだが、いつもその時、こんなに祖母の背中は小さかったのかと思う。
しかし、そんな歳をとった祖母は今でも天気が良い日は庭に出ては草引きをしている。
「もう自分は高いところの草木の手入れをすることはできない。」とに自分が手の届かない場所の手入れを、たまに私に頼んでくることはあるが、地面に生えた雑草などの草引きは自分自身でこなしている。
お日様の下で、もくもくと草引きをしている祖母の背中は私に元気を与えてくれる。
派手になってしまった現代の生活の中で、こつこつと何かをし続けることの大切さを感じるのである。
今日も、朝早くから、もくもくと草をひいている。
朝日をうけた祖母の背中は、80年以上生きてきた多くの知恵と大きなやさしさが映っている。
私は祖母が鏡餅でつくったおかきが今でも大好きだ。]]>
檜の板壁
http://sin5gogo.exblog.jp/1744349/
2005-05-10T21:05:15+09:00
2005-05-11T01:10:24+09:00
2005-05-10T21:03:34+09:00
sin5gogo
和我家物語
私は、居間の壁がとても好きだ。
この居間の壁は節の多い檜(ヒノキ)の板貼りになっている。
この壁は私の父が自ら選んだものの一つで、父の思考が貼られていると考えることが出来るのも好きな要因でもあるが、それ以上に、実際にこの節の多い檜の板にカンナをかけ、そして40年近くたった今でも、その節が落ちたりかけたりまた狂うことがない仕事をした大工さんの技術やそしてその技術が生んだ美しさに感動し、私はとてもこの壁が好きなのである。
私が生まれる前、建築の道に進んだかけ出しの父と、その父と共に仕事をした大工さん。父はもういないが、この仕事をした大工さんはまだ現役でがんばっているのだろうか?
私が真剣に建築の道に進もうと決意し、父からいろいろ聞き、学び、話したいと思ったときに、父は亡くなってしまった。
父を支えていた人たちとも話をしたいと思うが、それが誰かなのかさえもうわからない。
だけど今、この檜の板壁と向き合うと、この壁がそんな人たちに代わって、私と会話をしてくれるように思えるのである。]]>
藤の花の季節の小屋跡
http://sin5gogo.exblog.jp/1660849/
2005-05-02T00:03:59+09:00
2005-05-04T01:40:36+09:00
2005-05-02T00:02:18+09:00
sin5gogo
和我家物語
私が今、寝食をしている家は、40年前はまだ田んぼだった。その家の横に蔵がある。この蔵はもともと曾祖父・祖父の百姓時代の丁稚さんというか下司さんが使っていた建物である。その更に横に私の曾祖父・祖父が暮らしていたまた私の父が子供の頃まで暮らしていた家があった。戦後の農地改革後しばらくして、その農地改革で母屋から譲り受けた田んぼの一部を売却し、今、祖母が暮らしていて、私がその家の一室を仕事場として使用している離れの家を建てた。
その建物のうち、私の曾祖父・祖父が暮らしていた家はもうない。
この建物は私が小学生の頃まで残っていた。
今の離れの家を建てた後は、この建物は家ではなく農具などの倉庫として使用していて、私の父が建築業をし始めてからは、そこは材木置き場と大工さんの作業場として使われていた。
この建物の私の記憶は、材木置き場と大工さんの作業場である。
ただこの時まだ、おくどさんは使用可能な状態で残っていて、毎年、正月になると親戚が集まり、このおくどさんでもち米を蒸し、その建物の前で餅つきをしていた。
今、その建物はない。
しかし、材木についていた菌なのだろうか?この建物があった場所は今でも、不思議に海草のような植物と綺麗な花を咲かせる雑草が異常に繁殖しているのである。
子供の頃、この場所はいつも材木のカンナクズの匂いがしていた。
白い小さな花がいっぱいに咲いた今のこの場所に、どこからか藤の花の匂いが届く。
田んぼの土が家の前の道路に散らばる季節がやってくる。
今はもうない小屋の跡、そして今はもうないカンナクズの匂い。
この花の上の空はあの時のように飛行機雲が延びている。]]>
畳の息遣い
http://sin5gogo.exblog.jp/1604183/
2005-04-26T00:50:39+09:00
2005-04-29T14:59:18+09:00
2005-04-26T00:48:58+09:00
sin5gogo
和我家物語
我が家の畳は京間寸法で、江戸間の畳より大きい。
その一枚一枚が大きい我が家の畳は年を取り、真新しいイグサの蒼い香りはもうしない。
ただ、春になりだんだんと暖かくなってくるこの季節、そんな年老いた畳の息遣いが聞こえ始めるのである。
冬の間、まるで動物が冬眠しているかのように、冷たい床下の空気を自らの体の中に閉じ込め、じっとしているのである。
それが春の訪れと共に、目を覚ましたかのように、冬の寝息とは違う息を吐く。
その畳の息遣いで、ジュラクの壁もまた畳と呼吸を合せるかのように息をし始める。
若く蒼い香りはしないが、彼らの息遣いはいつまでも私たち家族の応援歌でもあり子守唄でもある。
朝になると、私たち家族のその日一日を応援し、夜になり布団の中に入るとその一日の労いの言葉をかけ眠りを誘う歌を唄ってくれる。
彼らの春の歌は実に気持ちイイ。
また夏になると春とは違う別のすがすがしい歌を唄ってくれるのである。
鳥や虫達とはまた違う歌を・・・。]]>
欄間の中の世界
http://sin5gogo.exblog.jp/1573470/
2005-04-23T00:20:59+09:00
2005-04-23T00:19:19+09:00
2005-04-23T00:19:19+09:00
sin5gogo
和我家物語
私の家の、広間と仏間の間の垂れ壁には、一枚板を彫刻した欄間がはまっている。
けっして、それは骨董の価値があるわけでもなく、また特別立派で高価なものではない。
しかし、一枚板を手仕事で彫刻したものに変わりはなく、この家の中で少ない意匠の一つとなっている。
ふすまを閉めた状態で、仏壇に手を合わせていると、その欄間から、やわらかい光が仏間の棹縁天井に当たっているのを感じるのである。
そして、その光が差す欄間の方を向くと、欄間に描かれた世界が、なんとも神秘的に見えるのである。
私の家のその欄間は松竹梅の絵が彫ってあるのだが、欄間には様々な形態や種類、絵がある。
もともと、採光や換気などの目的で、部屋と部屋、部屋と縁側、縁側と外部との連続性を持たせる為の装置だったのだが、この欄間の意匠がとても日本的な感覚なものが多く、私は好きである。
昔の人は何を想い、何をその限られた空間で表現しようとしたのだろうか?
無骨な感じで彫られている我が家の欄間も、光に包まれると、その欄間の世界がまるで桃源郷のように思えたりするのである。]]>
『コモエスタ!セニョール!!』…これもスローライフ?
http://sin5gogo.exblog.jp/1511290/
2005-04-17T00:32:33+09:00
2005-04-17T00:31:52+09:00
2005-04-17T00:30:53+09:00
sin5gogo
未分類
私達が考えるスローライフと少~し違うが、大きく見たら方向は同じ?っていう生き方というか人物の話。
それでは始まり始まり。
僕が彼の存在を知ったのは、1998年6月、ベルギーのブリュッセルのユースで知り合った日本人の女性からその噂を聞いたのが最初だった。
「バルセロナに怪しい日本人が経営する安宿があるらしい。」
「その経営者は、自分の事をセニョール矢田と名乗っている。」
「しかも、その安宿の名称は難民会館。」
「最近、セニョールはサイババにはまっているらしい。」
なんだよセニョール矢田って、ある意味、ムッシュかまやつもびっくりだよ。
で、サイババ?
本当、これだけでも、充分興味を引かれるのだが、僕は、まだまだこれから、彼の魔力に、どんどんと取り憑かれていくことになる。
その矢田さんの話をそのブリュッセルのユースでしているとき、もう一人、髪の毛(ロン毛)を左右にキャンディーキャンディーのように結んでいる怪しい日本人男性がやってきて、僕たちの会話に参加した。
すると、そのキャンディーキャンディーも矢田さんを知っているらしく、その難民会館のチラシをも持っていた。
そのキャンディー自体かなり怪しい人物だったのだが、そのキャンディーの彼の口からも、矢田さんは怪しいとしきりに言っていた。
そして、キャンディーの彼から、その難民会館のチラシを見せてもらったところ、いくら安宿とは言え、とうていホテルのチラシに思えない汚い手書きで、しかもA4サイズを4分割にして、1枚持ってる人が旅先で会った人たちに配れるようになっているお粗末でありながらも、しっかりと商売根性丸出しの代物だった。
で、そのチラシの内容はというと、
「一泊朝食付きシングル1800ペセタ!(当時は円安でちょうど1800円ぐらい)」
「日本茶いれます!」
「お食事会あり!アンコウ鍋!カレー!チャーハン!たまごかけ御飯!などなど」
だいたい、アンコウ鍋自体、変だが、最後のたまごかけ御飯って何?
それで、お食事会って何?
しかもしかも、
「電話番号2848187は『庭師ハイ花』と覚える!」
とか、わけわからんことが書いてある。
たいへん心打たれた僕は、いつか客として行こうとその時、心に決めた。
しかし、3ヶ月後・・・。
お金を使いはたし、日本へ帰る航空券代すらなくなり、日本に帰ることも、旅を続けることもできなくなった僕は、セニョールの話を思いだし、バルセロナへ向かった。
バルセロナへ向かう二日前、僕は一応、連絡を入れようと、マドリッドから『庭師ハイ花』へ電話をした。
すると、電話に出たセニョールは、旅の途中、何人もの旅人に難民会館を紹介していた僕のことを既に知ってた。
「あなたが岩井さんですか。お待ちしておりました。たくさんの人に紹介していただいて本当にありがとうございます。」
どうやら、僕が、おもしろトークとしてセニョール話をしていたのを聞いた旅人がたくさん難民会館に訪れたようである。
僕は、この電話の応対を受けて、僕がセニョール邸に行ったら、きっとVIP待遇なんだろうと思った。しかし、バルセロナへ着いてすぐに訪れたセニョール邸では、御を仇で返すという言葉が、まさに当てはまる仕打ちを受けることになる。
まず、僕が旅の途中、会う人会う人に話していたせいか、セニョール邸では、かなりまれな超満員の大繁盛になっていた。
おかげで、寝室がなくなってしまっており、VIP待遇どころか、めちゃめちゃ散らかった物置部屋と化している(本来は客人が集まって話しなどが出来るテレビルームらしい)大部屋に押し込められた。
まあでも、働かせてもらう身分だから仕方ないかと思い、僕は、「まっいっか」と了承。
で、僕は、帰りの航空券が買えるまで、宿泊代・飲食代をタダ。
そして給料として晩ご飯代の売り上げ(だいたい僕の日給は300から900ペセタ。当時でちょうど300円から900円ぐらい。今なら200円から600円ぐらい)をもらうという条件で、その難民会館で働かせてもらうことになったのだが・・・。
で、噂のセニョールの第1印象は、やっぱり凄かった。
本物は噂以上だった。
とりあえず、セニョールはズラだった。
しかも、ベルトをズボンに通さず、チャンピオンベルトのようにして止めている。
しかもしかも、お尻がくいこむぐらいズボン上げすぎ!
その時は、働かせてもらわなければいけなかった立場だったので笑えなかったが、今考えてみても、やっぱりあれはおかしすぎる!
日本ではそんな奴、絶対いない!!と断言できるような風貌であり、またオーラを持っている。
そして、彼はサイババ信仰者だけに、ベジタリアンで基本的に肉は食べないし、客にも出さない。
だから、食事を作ると言っても、ほとんど毎日タマネギとニンジンそして空豆のような豆だけ渡されて、
「今日はこれでお願いします。」
と言われて、毎日そのほとんど同じ材料だけで、毎日違うメニューをつくらなければいけなかった。
自分で食べる分には、腹にモノが入ればいいので問題ないのだが、お客さんに出さなければいけないものなので、かなり苦労した。
でも、ベジタリアンといっても、卵だけは食べるようで卵は毎日買ってきてくれた。
この辺、あの汚いチラシに卵かけ御飯と書くだけのことはある(?)。
で、チャーハン・野菜炒め・オムレツ・カレー・パエリアのローテーションでなんとかお客さんを飽きさせないようにしていた。
ここでひとつ。
カレーと言っても、もちろん肉なし。
しかもカレーのルーなんてものはなく、パキスタン人の経営する乾物屋で、カレー粉っぽい黄色い香辛料だけ買ってきて、それでカレーっぽいものを作っていたので、厳密に言えばカレーもどきだ!
普通、香辛料でカレーを作るにしても、何種類もの香辛料を混ぜ合わせて作るのに、セニョールは、勘違いしていて、黄色の香辛料ひとつあれば、カレーはできると思いこんでいる。
しかも彼が思い描くカレーは日本のとろみのあるカレーライス。
しかし、黄色の香辛料ひとつで普通につくっても、とろみなんてものがでるはずもなく、ましてやおいしいわけがない。
それでも小麦粉を入れたりと、いろんな工夫をしごまかしていた。
で、パエリアも、もちろん野菜だけ。
普通、魚介類が入って、そのダシでおいしくなるはずなのに・・・。
だから、パエリアとチャーハンの区別がいまいちよく分からない。
この辺も、ずっと間違ってるセニョールです。
コスいのは食事だけでなく、他のことでも、ある意味徹底していた。
まず、ホテルのくせして、トイレに紙をおいてない!
それで、お客さんに言われても、
「うちは、トイレットペーパーは自前でお願いしています。」
・・・・・
そんなホテル、他にどこにある!?
しかも、
「地中海を汚したくない!」
との理由で、洗剤は一切使わない!
だから、食器洗うのも、水だけで洗うし、しかもしかも、水を蛇口から出しっぱなしにして洗うのではなく、桶に水を貯めて全ての食器をその水で一度に洗い、そのうえ、洗い終わった水は排水溝に捨てるのではなく、庭の植木に与える。
食器を洗った後のオリーブオイルなどで油ぎった腐り水を与えた草花は、ブーゲンビリアの花など咲くわけも無く、もちろん枯れています。
見るからに植物たちがうめき声をあげているようです。
さすが、この辺は『庭師ハイ花』です。
洗剤なしの手洗いの食器の方も、もちろん常に油ぎっていて、なんとも言いようのない光沢を放ってるナチュラルコーティングです。
しかもしかも、シーツを洗濯するのも、洗剤なしの手洗い!
だから、これもまた、いくら洗っても洗っても、シーツは、もちろん常に黄ばんでる。
セニョ言わく、「環境派!」らしいが、自分一人そういうことするならわかるのだが、いくら安宿といっても客商売をやっているわけだから、そういう宿として宣伝するか、どこかで割り切ってホテルとしての最低限の清潔は保たないと、と思うのだが・・・
そんな僕の感情に反して、泊まってみないとこの現実がわからないという半分詐欺のような商売をセニョはし続けた。
そして更にセニョは我が道を進み続ける。
そんな彼が、彼に不信感を抱いている僕に対して、よく口にしたのが、伝説のバックパッカーの話だった。
(セニョ談):「昔、ここに来た人で、腐った水を沸騰させて飲んだ奴がいた。彼は僕の言うことをよく理解している・・・」
(はっ?水道が目の前にあるんだから、わざわざそんな水、飲まなくても水道水飲めばいいじゃん。逆に水沸かす方が光熱費かかるんじゃないの?)と僕を含めた普通の人はそう思うが、彼の正義には反しているようだ。
精神論をいいたいのは分かる。
そういう気持ちが大切なのはよくわかる。
彼は結局、不器用なのか?言うタイミングと、例え話が変なのだ。
(これは後で知ったことなのだが、その泥水を沸騰させて飲んだという伝説のバックパッカーは、そうあのブリュッセルで出会ったキャンディーだったのだ・・・やっぱりというか地球規模でもあるところでは世間ってのは狭い…。)
基本的には、セニョール矢田というおっさんは、こういう人間なのだが、時に複雑な感情の人間になる。
ある日、矢田さんとの会話の中で、
「矢田さんは、何かスポーツとかするんですか?」
と訊いたことがあった。
その時の、おっさんの回答は、
「パン食い競争!!」
本当、訳がわかりません。
他には、矢田さんが日本に一時帰国する際、直径1mを越えるパエリア鍋を日本に持って帰ろうとしているのを見て、僕は訊いた。
「矢田さん!それ、どうやって持って帰るんですか?」
すると一言。
「亀仙人!!」
マジ分けわかりません。
そんな彼は、これもサイババに関係しているのか定かではないが、しょっちゅう人目を気にせず、妙に甲高い声で歌を歌う。
その歌声を聞いたお客さんで、怖くて眠れなくなったという人は少なくなかった。
また、長期滞在のお客さんの中にはその歌を聴いた日は必ず何かのハプニングに遭うという人もいた。
でも、なにより、その歌が、セニョがその日の気分で適当に作詩作曲してるものだというのが僕は一番恐怖に思う。
最上階にある彼の部屋(通称モスク)から今も、不気味な歌声は響いてることでしょう。
話、変わって、そんな彼の代名詞とも言えるヅラについて少し書きましょう。
バルセロナの地下鉄の1番線のGLORIES(グロリエス)という駅近辺で毎週行われるノミの市があります。
彼のヅラは700ペセタで段ボールの中に山積みにされ売られている。
その店の前を東洋人が通りかかると、店主はズボンを上げるジェスチャーをする。
グロリエスでは、あのチャンピオンベルトがすっかり知れ渡ってるようです。
そんなバルセロナでは数々の伝説を作り続ける彼ですが、密かに結婚願望の強い彼は、年に何度かお見合いの為、日本に帰国しているらしい。
そんな帰国中の彼を偶然見かけた人の話では、彼が着ていたジャンパーの背中に、大きく、
「Espana policia」
と書かれていたらしい・・・。
彼の野望ってなんなんだろう?
彼の目指す道とは何なのか?
彼の宿の本棚には、『成功哲学』・『成功するための12箇条』・『金儲けマニュアル』といった本がサイババの本とともに並んでおり、その本を開けば、びっしりと赤線でチェックがしてある。
あれから7年、彼の噂をたまに耳にすると、なぜか不思議とまた、あの奇妙な歌声がどこからともなく聞こえてくるように感じてしまうのである。]]>
桂川の流れ
http://sin5gogo.exblog.jp/1482280/
2005-04-14T02:49:36+09:00
2005-04-14T02:47:56+09:00
2005-04-14T02:47:56+09:00
sin5gogo
未分類
私の家は、京都の西側を流れる桂川の近くである。
私の家からこの桂川を上流に少し上ると桂離宮があり、更に上流に行くと嵐山に行く。
私が小さい頃は、この桂川の堤防に行っては、凧揚げをしたり、弟とキャッチボールをしたりと、一つの遊び場になっていた。
そんな家近くの桂川の堤防は、私が子供の頃から既に、中途半端な公園と誰かが勝手に畑として農作をしている風景で、決して綺麗と思える場所ではなかった。
しかし、昭和の30年頃まではそうではなかったようである。
隣の家のシゲハルさんという老人から聞いた話だと、今では無秩序になってしまっている川縁は、桜並木でこの辺では桜の名所だったという。
今、また交通渋滞を考慮してなのか、この桂川に新たな橋を建設している。
私が子供の頃から知っているこの川の風景がまた変わる。
桜が散り始めたこの季節、その新たな橋を工事している様子を見ながら、シゲハルさんが言っていたその時代のこの川の風景を想像し私は一つ深呼吸をし、家に帰った。
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/